9月28日 松尾峠

宿毛市内にあり、一本松町へのお遍路道であり、かっては主要交通道路であったらしいのですが、今ではお遍路さん、しかもかなりこだわりを持ったお遍路さん、山登りのトレーニングをする変人等、僅かな人だけが通る道なのです。

距離的には大した事はないのですが、途中に私の歩みを止めさせる大いなる障害物があり、普通に歩けば40分、急いで登れば25分なのですが、その障害物の為、2時に出て帰ってきたのは4時過ぎでした。

まあ、それはどっちでも良い事なのですが、この栗を拾い始めたのが先週くらいでした。

それまで、この松尾峠には大分ご無沙汰しており、もう一つの散歩コース、荒瀬山ばかり登っていたのです。

最近、荒瀬山の茅が伸び放題に伸びて、足元は見えないし、引っ掛かって歩き難い、又、腕等出して登っていると、茅で切って切り傷まで出来る始末。

夏過ぎてからは蜘蛛の巣も大変多くなり、杖で払って登る様にはしていても、足元が見えない為、どうしても足元に注意が行き、前方、顔の正面や上に注意が逸れて、思わず引っ掛かってしまい、不快な思いをする事が多く、足が遠のいていたのです。

ところが、山歩きをしなくなると、どうしても持病の腰痛が出てくるので、止むを得ず腰痛体操をしてしのいでいたのでありますが、今度は体重の増加が....

そうです、中高年になってくると哀しいかな、普段の習慣を好い加減な動機で止めると、それに伴って色んな所から弊害が出てくるのでありまして、全く年は取りたくないものであります。

で、致し方なく、再び松尾峠に足が向いたと言う訳だったのですが、去年足繁く運んでいた場所には、やはり里山の恵みがあり、又、丁度そう言う時期に当たったようで、栗が落ちていたのです。

、まあ、里山の恵みはどちらでも良かったのではありますが、折角落ちている物、捨てて置いたのでは栗虫の餌食になり、穴凹だらけにされて朽ち果てて仕舞うのでは、この世に生を受けて、漸く実った栗も哀しいでしょうから、地球に優しく、環境と栗に優しい事を自負する私、放って置ける訳もなく、止む得ず栗拾いにいそしんだ、と、言う様な訳なのであります。

まあ、それだけで終わっていればこの程度の日常散歩道で更新をするほどでもなかったのですが、先にも述べた通りこの道と言うのがお遍路さんの通る道なのであり、まあ、この道も由緒正しき道な訳で、行き倒れになった人の物か、墓石が一つ建ててあります。

その墓石の前に、今日栗が一つお供えしてあったのでありまして、これが痛く私を反省させたのであります。

私は茸取りでもそうでしたが、一つ物を探し始めると、ハンターの様に、その目的物を常に無意識の内に捜し求めてしまうのでありまして、今日も登りながら、ナニヤラ視界の端っこにピンと引っ掛かった物体があり、おやっ!と眼をやると栗なのであります。

次の瞬間、栗の背景が目に飛び込んできましたが、それは思い掛けず墓石なのでありまして、状況としてはお墓の前に栗がお供えしてあった訳であります。

一瞬にして反省が胸を過ぎりました。いくら栗に目が言って発見したとは言え、単純には喜べない状況である事は明白で、勿論その栗まで拾うなどということは思いませんが、そこに墓がある事は前から知っていたのに、私自身にはその墓の栗を供える、と言う様な発想は全然浮かんで来なかった訳でありまして、そこの所が浅ましく思えて、反省心を誘った訳であります。

近頃、道を横切ろうとする人が良く目に付いて、思わずこれまでの習慣で、避けるようにして通り過ぎてしまうのですが、「いけない! 車を止めて歩行者を横断させてあげんと、いけんじゃないか」 と反省し、今度こう言うシーンでは絶対止まって待って上げようと思っているのにも拘らず、そのまま通り過ぎてしまい、いつも反省してしまうのであります。

やはりこうしたシーンでは人間性が出るのでありまして、地球に優しいと自負していても、どうやらモラルは最低で、とても地球防衛軍からはお招きが来そうにもありません。

まあ、今までは正直な話、歩行者を待たせて、堂々と通り過ぎていた訳で、急には変わる事が出来ないにしても、10回に一回くらいは止まれるようになりたいと、今は志しているのであります。


道に落ちている栗

白い長靴でイガヲ割って中身を取り出すの図

これは松尾峠の休憩所から眺める宿毛湾の図

人でなしの私の今日の収穫、約2kgの栗。秋の嬉しい恵みであります。
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